と
り ふ ね 舞 踏 舎
Tel・Fax 0463-60-1008
e-meil: torifune@mh.scn-net.ne.jp
住所:〒255-0003 神奈川県中郡大磯町大磯 611-20
http://www.scn-net.ne.jp/~torifune/
エ
ジンバラ演劇祭『献花』1993 撮影=Andre Chambat
表紙………………………… P1 とりふね舞踏舎・概要…………………………
P2-P3
公演歴………………………… P4-P10 海外批評(和訳)………………………
P11-P14 |
2003年4月現在
とりふね舞踏舎・概要
沿革
1991年4月、三上賀代の舞踏論(お茶の水女子大学大学院修士論文「土方巽研究」)を
基に作家・三上宥起夫によって創立。1992年、旗揚げ公演『献花』。1994年、傘下団
体として10歳から80歳までの一般市民を中心とした舞踏グループ「湘南舞踏派」を
立ち上げ、以後、賀代のソロもしくは小人数(1~4人)公演と、賀代を中心としたプ
ロの舞踏家+湘南舞踏派(団員数30〜40名)公演の二つの公演体制をとって今日に
至る。市民活動として野口体操をベースとした健康体操『からだの教室』がある。
2001年11月 京都に大学生を中心に「平安舞踏派」を組織。
三上宥起夫
とりふね舞踏舎、からだの教室主宰。作家、演出家、振付家。青森県出身。
明治学院大学中退。フランス・ナンシー大学演劇科(C.U.I.F.E.R.D)奨学生。
寺山修司主宰の実験演劇室「天井桟敷」時代の1971年に、同劇団のヨーロッパツアー
(フランス・ナンシー演劇祭、パリ・レ・アール公演、オランダ゙・ミクリ劇場公演)をプロ
デュース。同劇団退団後、フリーライターとなり、雑誌に旅行記、映画評論等を書く。
著書に『ハミングバードはもう鳴かない』(カドカワノベルズ出版)。
とりふね舞踏舎の全作品の構成、演出、振付。他に演劇公演等の振付、演出。
三上賀代
学術博士。舞踏家、舞踏研究家。京都精華大学専任講師。多摩美術大学非常勤講師。立命館大学非常勤講師(‘03後期)
徳島県出身。1976年お茶の水女子大学国文科卒。1997年同大学院博士過程(舞踊教育学)
修了、「土方巽研究‐暗黒舞踏技法試論」にて学位取得。
78年〜81年、暗黒舞踏創始者・土方巽に師事。83年〜98年、野口体操創始者・
東京芸術大学名誉教授、野口三千三に師事。
1993年修士論文「土方巽暗黒舞踏試論」が『器としての身體−土方巽暗黒舞踏
技法へのアプローチ』(ANZ堂出版)として出版。2001年「からだを生きる−
身体・感覚・動きをひらく5つの提案」(共著・創文企画)
国内外学会発表、論文多数。身体表現の実践家として高齢化社会の今日、生涯
教育の面からも大学院、地域などでの講演、ワークショップも多い。
とりふね舞踏舎の中心舞踏家として、これまでに全作品、国内外の全公演に主演。
湘南舞踏派
とりふね舞踏舎の傘下団体として、1994年に結成。
野口体操をベースとした「からだの教室」を母体に、湘南地方在住の中高年一般
市民を中心とした舞踏グループ。団員は、10歳から80歳までの一般主婦、教師、
漫画家、看護婦、地方公務員、大学生、不登校生、サーファー、暴走族等からなり、
平均年齢は50代。とりふね舞踏舎の市民参加舞踏公演の中核。イタリア・ミラノ
市、チェコ・ブルノ市において現地の人たちとの合同舞踏公演を行う。また外部
団体の公演にも出演、これまでに<寺山修司記念・劇団「万有引力」パルテノン多
摩野外公演『千年気球メトロポリス』>(多摩市主催、1997)、<一日だけの天井
桟敷・市街劇、劇団「万有引力」公演『人力飛行機ソロモン‐青森扁』>(主催・日
本デザイン会議、青森市1998)、劇団「遊行舎」公演「小栗判官と照手姫」(藤沢・
遊行寺、愛媛県今治市 1999)等に出演。一昨年あたりから10代〜30代の大
学生、一般人が増加。80歳の新人も登場。
団員約30名。
平安舞踏派
とりふね舞踏舎の傘下団体として、京都精華大学学生を中心に2001年9月京都に組織。
同年11月23日に旗揚げ公演『鵠裡考』(於・大阪・吹田市文化会館「メイシアター」)
以後、とりふね舞踏舎の関西における舞踏展開の拠点として活動を続ける。
団員約10名。
とりふね舞踏舎公演歴
1991年 4月 『とりふね舞踏舎』設立。
1992年 7月 献花』(旗揚げ公演、於・江ノ島「天文館」)
初演・1992年 7月4日〜5日
出演=三上賀代 井内俊一(万有引力)田辺久弥(万有引力)青山竜樹
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・山本隆志
音響・曽我 傑 舞台、宣伝美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子
舞台監督・真島大栄
再演
1993年 6月 『献花』・フランス・ナンシー公演(ナンシー市招待)、アヴィニョン演劇祭参
加(Off)
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦)青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1993年10月
凱旋特別公演(寺山修司没後十年祭参加、於・江ノ島「天文館」)で舞踏公演
『献花』
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦) 青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1994年 6月
ロシア・ペルミ(Permi)国際演劇祭招待、『献花』
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦) 青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・鈴木洋次 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1994年10月10日から13日
アメリカ、『献花』(ニューヨーク『ラ・ママ』)招待公演(国際交流基金助成)
ニューヨーク州立大学、オハイヨ大学で舞踏のワークショップ及びミニ公
演(国際交流基金助成)
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦) 青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・鈴木洋次 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1994年12月14日
東京・渋谷「ジァン・ジァン」
にて、『献花』凱旋
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦) 青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・鈴木洋次 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1995年 7月
イタリア・スポーレット国際演劇祭に招待『寺山修司へのオマージュ』
ミラノ市民演劇祭に招待『献花』
出演=三上賀代
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・鈴木洋次 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・森崎偏陸
1996年6月
スペイン(セビリア。於・セントラル劇場)、ギリシャ・アルゴス舞踊祭(アル
ゴス古代遺跡劇場)
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦) 青山竜樹
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1999年6月
東欧公演(国際交流基金、横浜芸術交流基金助成。在チェコ・日本大使館
後援)
スロベニア共和国 リブリャーナ市 Festival
EXODOS(於・Theatro Dance )
出演=三上賀代 工藤丈輝 榊 大亮 Helena
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
チェコ共和国 プラハ市・<民族・世界音楽祭“RESPECT”>オープニ
ングセレモニー特別招待公演「献花」(於・プラハ城、城内スパニッシュ・ホー
ル)。
オストラヴァ市・ヤナーチェク世界音楽祭舞踏公演「献花」(於・フカヴァルディ
城、野外ステージ)
出演=三上賀代 工藤丈輝 榊 大亮 水島錦之助
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
1999年8月
エジンバラ演劇祭参加(Off)
(於・フェーマス グラウス ハウス劇場)
出演=三上賀代 工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦)
構成 演出・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
第2回とりふね舞踏舎公演『私が生まれた日』
初演・1994年9月24日
(藤沢市芸術文化振興財団助成。於・湘南台文化センター市民シアター)
出演=三上賀代 玉野黄市(哈爾賓派)工藤丈輝 若林 淳(大駱駝艦)
武田妙子 小川充子 鈴木ヱイ子 ひかり 安田れい子 永田陽子
平井淑子 ほし☆さぶろう 栃木 勉 他19名
文教大学バスケット倶楽部(12名・特別出演)
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー Robin Berger照明・赤坂 正 音響・曽我 傑 舞台、宣伝美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
第3回とりふね舞踏舎公演『夏が来た』(三上賀代独舞シリーズNO.1)
初演・1995年12月5日〜6日
(於・横浜STスポット)
出演=三上賀代
構成 演出 振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・鈴木朝湖 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 宣伝美術・森崎偏陸
舞台監督・真島大栄
第4回とりふね舞踏舎公演『燦・月譚』(湘南舞踏派旗揚げ)
初演・1996年3月
(藤沢芸術文化振興財団助成。於・藤沢市民会館小ホール)
出演=三上賀代 若林 淳(大駱駝艦)小林桂太(万有引力)
武田妙子 下村好子 小川充子 鈴木ヱイ子 ひかり 安田れい子
大石 玲 村上皇太后 松山律子 ほし☆さぶろう 栃木勉 榊大亮
他20名
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー Robin Berger 照明・赤坂 正
音響・曽我 傑 舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子
宣伝美術・森崎偏陸 舞台監督・真島大栄
再演 1996年6月
イタリア、ミラノ国際演劇舞踊祭にて日・伊合同公演『燦・月譚』
(国際交流基金助成。於・テアトロ フランコ パレンティ)。
出演=三上賀代 若林 淳(大駱駝艦)小林桂太(万有引力)
武田妙子 小川充子 ノ亜 大石 玲
村上皇太后 ほし☆さぶろう 栃木 勉 榊大亮 他12名
イタリア人参加者7名
構成 演出 振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
2000年7月19日〜20日
(全労済/スペース・ゼロ提携公演。サッポロビール協賛。於・全労済ホール/
スペース・ゼロ「新宿」)
出演=三上賀代 若林 淳(大駱駝艦)小林桂太(万有引力)吉野俊則(万有
引力)真次賢(万有引力)山本由美子(万有引力)梅川美穂(万有引力)
鈴木ヱイ子 ひかり 安田玲子 斎藤里美 大石 玲 村上皇太后 ノ亜
内田征代 富田恋糸 三橋カヨ 柿澤友子 太宰真帆 佐相祐子 山口
優子 伊東妙子 サイトウカオリ ほし☆さぶろう 栃木勉 榊大亮
志村洋比古 山村賢太郎 熊崎嘉月 北村晶裕
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー Robin Berger
照明・鈴木洋次 照明・曽我 傑 舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢
染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
第5回とりふね舞踏舎公演『やすらへ花や』(三上賀代独舞シリーズNO.2)
初演1998年7月14日〜15日
(於・横浜STスポット)
出演=三上賀代
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー 照明・赤坂 正
音響・曽我 傑 舞台美術・鈴木朝湖 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子
宣伝美術・森崎偏陸 舞台監督・栃木勉
第6回とりふね舞踏舎公演『鵠裡考-kokuriko』
初演1998年11月21日〜22日
((藤沢市芸術文化振興財団助成。於・湘南台文化センター市民シアター)
出演=三上賀代 若林 淳(大駱駝艦)小林桂太(万有引力)
武田妙子 小川充子 鈴木ヱイ子 ひかり 安田玲子 村上皇太后 ノ亜
大石 玲 藤本まゆみ 柿澤友子 太宰真帆 斎藤里美サイトウカオリ 大野陽
子 内田征子 ほし☆さぶろう 栃木勉 榊大亮 李尚準 他
構成 演出 振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 宣伝美術・森崎偏陸
舞台監督・真島大栄
再演1999年6月
チェコ共和国 ブルノ市 日・チェコ合同公演
(国際交流基金助成。於・ボレク ポレフィカ劇場)
出演=三上賀代 工藤丈輝 Igor Vesada
小川充子 鈴木ヱイ子 ひかり 安田玲子 村上皇太后
ノ亜 大石 玲 藤本まゆみ 柿澤友子 太宰真帆 斎藤里美
サイトウカオリ 内田征子 小島瑠美 ほし☆さぶろう 栃木 勉
榊大亮 高橋修 沼倉学 佐々木顕一 他。 チェコ人参加者6人
構成 演出 振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・真島大栄
2001年11月23日
人体科学会特別公演・平安舞踏派旗揚げ
(人体科学会2001年大会。主催=吹田市教育委員会、関西大学、人体科学会
於・吹田市文化会館 メイシアター)
第7回とりふね舞踏舎公演『月水抄』
初演1999年12月
(神奈川県芸術文化活動団体補助金助成、1999年度横浜女性フォーラム市民活
動・研究助成等支援事業。於・横浜女性フォーラム)
出演=三上賀代 工藤丈輝 榊大亮 柴崎三郎 沼倉学
鈴木ヱイ子 安田玲子 村上皇太后 ノ亜 横山真由美 相良直美
佐相祐子 金沢雪絵。
構成 演出 選曲
振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
舞台美術・小林芳雄 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 宣伝美術・森崎偏陸
舞台監督・真島大栄
第8回とりふね舞踏舎少公演『ひもろぎ』
初演2000年9月17日
出演=三上賀代
構成 演出 選曲 振付 ・三上宥起夫
美術 照明 音響・多摩美術大学舞踏研究会
第9回とりふね舞踏舎公演『非時香果』(三上賀代独舞シリーズNO.3)
初演2000年3月7日〜8日
(於・横浜STスポット)
出演=三上賀代
構成 演出 選曲
美術 振付・三上宥起夫 照明・赤坂 正 音響・曽我 傑
衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 香り・吉武利文 宣伝美術・森崎偏陸
舞台監督 栃木勉
第10回とりふね舞踏舎・創立10周年記念公演
『ひのもと-ある晴れた、冬の日のお母様』
初演2001年6月16日〜17日
(アートスフィア
フリンジ シアター シリーズZ.アートスフィア主催。サッ
ポロビール株式会社協賛。於・アートスフィア)
出演=三上賀代 玉野黄市(哈爾賓派)李七女 工藤丈輝
若林 淳(大駱駝艦)
小川充子 鈴木ヱイ子 ひかり 安田玲子 村上皇太后 ノ亜
大石 玲 藤本まゆみ 今井嘉江 斎藤里美 サイトウカオリ
内田征子 大泉七奈子 安部さやか 加藤亜季子 岩田尚子 榊大亮
ほし☆さぶろう 高橋修 志村洋比古
ひのもと合唱隊=京田恵子 他12名
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー Robin Berger
編曲・中川いづみ 照明・赤坂 正 音響・尾崎弘之 舞台美術・小林芳雄
衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 ファイバーアート・石田智子
宣伝美術・森崎偏陸 舞台監督・寅川英司
とりふね舞踏舎・中欧公演ツアー@
『ひのもと-ある晴れた、冬の日のお母様』
2002年 3月(13日〜28日)
(中欧公演ツアー:スロベニア=リュブリャーナ、クロアチア=リエカ、
<国際交流基金助成>
構成・演出・振付=三上宥起夫
出演=三上賀代 他。ゲスト=玉野黄市(哈爾賓派)工藤丈輝(元・山海塾)
小川充子 鈴木ヱイ子 村上皇太后 万木華子 平井紫乃 西村聡子 伊藤裕一 叶和泉
大石 玲 今井嘉江 斎藤里美 内田征子 大泉七奈子 安部さやか 榊大亮
とりふね舞踏舎・中欧公演ツアーA
日、スロベニア合同市街公演『On
the road』
(中欧公演ツアー:スロベニア=リュブリャーナ旧市街、クロアチア=リエカ市庁舎前路上、<国際交流基金助成>)
第11回とりふね舞踏舎公演『私が生まれた日』(再演)
2002年7月6日〜7日
(サッポロビール株式会社、京都精華大学協賛。於・アートスフィア)
出演=三上賀代 小川充子 鈴木ヱイ子 安田玲子 村上皇太后 大石 玲 藤本まゆみ 今井嘉江 斎藤里美 内田征子 大泉七奈子 安部さやか 大島綾 岩田尚子 栃木勉 榊大亮 ほし☆さぶろう
平安舞踏派=万木華子 平井紫乃 西村聡子 伊藤裕一 叶和泉
バスケット倶楽部チーム“コヨーテ”=永井悠介 紫垣正仁 藤井宏之 林正樹 倉澤雲世 沢野義道
ゲスト=玉野黄市(哈爾賓派)李七女 工藤丈輝
構成 演出 振付・三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー Robin Berger
照明・池亀誠一郎 音響・曽我傑 舞台美術・小林芳雄 書 山内清城
衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 宣伝美術・森崎偏陸 舞台監督・寅川英司
第12回とりふね舞踏舎公演『かみの尻尾』
2003年2月28日
(アジア舞踊祭参加 於・シアターΧ )
出演=三上賀代 小川充子 鈴木ヱイ子 村上皇太后 大石 玲 内田征子 栃木勉 榊大亮 青山達樹 平安舞踏派=万木華子 平井紫乃 伊藤裕一
構成 演出 振付・選曲=三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー照明・池亀誠一郎 音響・ 三枝 衣装・北上亜矢 染色・辛島廣子 舞台監督・塚原勝美
第13回とりふね舞踏舎 さらばアスベスト館舞踏公演 『献花』
2003年3月18日〜19日
(於・土方巽記念アスベスト館)
出演=三上賀代 榊大亮 伊藤裕一
構成 演出 振付・選曲=三上宥起夫 音楽・J.A.シーザー照明・溝端俊夫 音響・ 落合敏行 衣装・北上亜矢 染・辛島廣子 舞台監督・塚原勝美
<今後の主な予定>
とりふね舞踏舎若手旗揚げ公演『寒立馬』
2003年6月19日
(於・藤沢労働会館ホール)
第13回とりふね舞踏舎新作公演『バッケ−花咲く乙女たち』
2003年9月20日〜21日(神奈川県 共催 於・かながわドームシアター)
京大・西部講堂公演『バッケ−花咲く乙女たち』
2003年10月18日〜19日
[海外公演]
アイルランド公演
2004年2月(於・サミュエル・ベケットシアター。日程調整中)
アテネ演劇祭(予定)
2004年9月
とりふね舞踏舎・海外批評
1
<舞踏の教訓ー信じがたいほど見事な作品>
「素晴らしい、実に美しいイメージ。完璧な演技。カヨ・ミカミの一挙手一投足には息をのまずにはいられない。……安物の金ピカの衣装を着たり、裸になったり、あるいは灰の中を転げ回るというエロ・グロ、60年代の日本の前衛振付師たちは、舞踏であるということを知らしめるために様々な工夫を編み出した。だが、そんなものは必要ないのである。最早我々はそれで満足しない。昨日上演された“とりふね舞踏舎”の公演『献花』は、我々の目の前でそのことを示した。これこそが舞踏である。」
(1993年6月29日 フランス・「L'est
Requbilican」紙 Rachel VALENTIN)
2
薄暗がり。舞台、客席に金属音の音が聞こえる。無造作に流れる音楽は、募る不安をかきたててゆく。まるでボール紙を切り抜いて、すべての分厚さを取り除いたような白いシルエットがゆっくりと平らな平面を動き、流れるように歩く。地の底からの、暗闇と予期される顔……無表情な顔、非常に静かな、そして動きへの暗示が我々のはっきりしない驚きを吸い取っていく。デスマスク?情寂?しかし、『能』や『歌舞伎』の様式で表現されているこの踊り以上の、感情溢れる芝居を造りだすのは難しい。我々の素朴な好奇心は暗号の組み合わせで砕け飛んでしまった。私はもうこれ以上、日本の魔詞不思議な動きに引き込まれないようにしたい。私はまるで、それらが自分のもののように感じる。いささか恐ろしい。
(1994年6月7日 ロシア・PERMI「STAR」紙)
3
舞台で繰り広げられる動きは、驚かせ、楽しませ、感動させ、そして仰天させた。これらは全て同時に押し寄せた。もちろん、伝統的なロシアの古典派で育まれている観客には、舞踏のパントマイムは異様である。しかし、好奇心をそそる。……このわざとくずした動きの線の中に、クリブリャニエ(渋っ面をつくること)に似ているのですが、大変ふるくからある公理が隠されています。見慣れているものを見入ると、予期しないものが見え、単純なものに見入ると、複雑なものが見え、小さいものに見入ると、大きなものが見えるこの<<芸術の黄金の公式>>を思い出させてくれたことに対して、はるか日本からの客人たちに感謝します。俳優たちは自分たちの芝居についてこのように話しています。”あなたを鳥か女性を見るように、観察することができます。”と。
私たちは劇場で、当方のエレガントな身ぶりで表されている、人生哲学の舞踏を見ました。そして、それは素晴らしかった。
(1994年6月16日 ロシア・「夕刊PERMI」紙)
4
日本で生まれた「暗黒舞踏」は身体の一大壮観ともいうべき芸術である。とりわけ三上賀代の今回の公演『献花』は、内に向かう魂と外に向かう身体とが完璧なまでに統合された作品に仕上がっている。私が暗黒舞踏派の作品を見るは15年前アメリカで初演されて以来二度目になるが、その時と比較して、この派の舞踏は一つの型を確立しつつあるように見える。しかし、初演で受けたあの暗黒をまさぐるような朦朧たる印象は依然として弱まっていない。ステージ上の三上の姿は異例なまでに鮮明であり、極端にまで集中されたエネルギーを感じさせる。過剰な舞台衣装を排除したおかげで、我々アメリカ人にとってもこの舞台は理解可能なものとなった。だが、いまだ親近感を感じさせるところまでは至っていない。この派の舞踏が表現しようとしているのは、人間の内部的衝動がわれ知らず身体外部に表出された際、それがとる形である。これがアメリカの現代舞踏と異なる点は、情感がそのまま身体化されたり劇的表現を伴わされたりしないことである。たとえ、三上が緊張の極限で身を震わせ始めたとしても、彼女は特定の感情を現在形で表現しているのではない。そこに見えるのは、彼女の身体を捉えて離さなかった憤怒の余燼がくすぶり続けている姿である。
今回の公演作品『献花』は、数人の出演者が登場するにもかかわらず、基本的には三上のソロと言っていい。全体は7部に分かれ、それぞれ人生の各階段を暗示するタイトルがつけられている。しかし、内容は個人の生涯に限定されることなく、時は民族の先祖たちの世界であり、地上の俗世であり、さらには精神界である。そうしたタイトルがつけられたために、この作品が実際以上に写実断片的なイメージの連鎖とでも言ったもので、おそらくそれがこの作品のより正確な受け取り方であるに違いない。
登場した三上は舞台の闇をゆったりと横切っていく。上半身は地に平行に、両腕は固定したまま何も表現せずに……観客が目にするのは彼女の顔ではなく、一歩一歩の苦しげな歩みだけだ。こうして舞台をよぎるのに10分、前舞台で方向を変え、そして前と同じ道をたどって姿を消す。私の目には、肉体に閉じこめられた魂が、永劫の漂泊の旅を続ける姿のように映った。
次に登場した彼女は赤い衣装に包まれている。その顔はつんとしてとりつくしまなく、しかし時にはくずれおちそうになりながら歩いていく。その腰の振り方は奇怪なまでに蠱惑的だ。たとえて言えば、魚であることを夢見ているゾウの姿……
それはまるで仏像を思わせるように真っ赤だ。これまでになくゆったりとたゆたいながら、女は体を浮き沈みさせる。それは私の目には、女が永遠に到達することのできない境涯に近づこうとして身をよじっているかのように見える。
(1994年11月16日
アメリカ「Village Voice」紙 Marcia B.SIEGEL)
5 <隠喩によって語られる日本の芸術>
日本の舞踏派の創始者・カヨ・ミカミの師である土方巽に捧げられた作品『献花』は、恋愛、欲望、希望、死後の世界などに触れながら自殺した彼女の友人の生涯を反映した作品である。作品は興味深い部分部分からなっている。この作品を見てこれらの事柄がほとんど伝わらないというのは、全く驚くにあたいしない。なぜならば舞踏が隠喩と概念の芸術であるからである。
舞台は、腰の曲がった老女のとぼとぼとしたゆっくりな歩みで始まり、次第にスピードと緊張感を増す。終わりに至るまでに、カヨ・ミカミは確かに非常に強く激情と救済という感覚を創出する。あまねく部分に鮮烈なイメージがあった。その中には、素晴らしいタイミングでずらした頭の崩れや、そこに相手がいて、ゆっくりと狂気のワルツを踊っているように腕をさしのべたり、ドレスに縫いつけられた金の鈴が彼女が足を踏み鳴らす度にちりんちりんと鳴ったり白塗りの二人の従者がところところで膚を光らせるシーンがあった。圧巻は、軽やかなピアノ演奏による「愛の喜び」を妨害するハーモニカの不協和音……。「献花」は明らかに誠実な作品である。
(1994年11月12日
アメリカ「New York Times」紙 Jannifer DUNNING)
6 <三上賀代の百態>
見えるものの背後に潜む、霊、魂、あるいは情感などと呼ぶところの無形のものを表出させることはいつの時代でもあっても芸術の挑戦であり使命でもあった。その見えざる目標を求める人は希有でありまた尊重に値する。とはいえ、時々は束の間であるけれどそれを掴むものもいる。(いつも束の間なのだ)そして突然それを理解する。それは観客の一人一人に、別にまたいろいろな瞬間に起きる。
先日の木曜日に日本の三上賀代の「献花」を見たセントラル劇場の間にもそれは起きた。ボルヘスがエル・アレフで獲得したのと同じ方法(有限の言葉の内に存在する無限性を表現する)で、賀代は本質を暴くのに成功している。着衣と照明の巧みさと、彼女のたった一つの表現媒体である彼女の肉体を使って。……彼女は「子を抱く亡霊」というタイトルの幕から現れ、私たちを人間世界の外の次元に導く。この女の亡霊は自殺した後にわが子らを哀れと思い、彼らに近づきたいと願って、現世とあの世の間を行き来する。その足は地を掴み、身体と腕はあるいは地を這い、あるいは点を指してのたうつ。……続いて呆然としている観客の目に、赤いきものに身を包み、これから始まる神々のポジティブなエネルギーを希求する狂乱と解放の踊「鈴のついた蛇」を演ずる彼女が映る。
この献花という舞台は賀代本人と、夫であり作家、ディレクターでもある三上宥起夫によって創作、構成された作品で3人の舞踏家のコラボレイトにより演じられる死の世界の物語である。
日本の舞踏を創始した土方巽という先達に理論と実践を学んだ賀代はそのキャリアを越えて舞踏の最前線を突破したのである。“芸術の本質はもう一つの概念を求めるところにある”と彼女は言い切る。セビーリァのセントラル劇場の観客の反応は日本の舞踏家の動きと表情に実際圧倒され、芸術の最前線は仮構の中にあると再認識させられたのである。
(1996年6月8日
スペイン「EL CORREO」紙 Rosalia GOMEZ)
7
これは我々が舞踏と呼ばれるものをセビリアで鑑賞する3回目の機会ということになる。しかも純粋なスタイルと強烈な印象を持つものであった。
舞台はやや退屈気味に開けたがそれは必要不可欠な始まりでもある。この踊の形態はダイナミズムと特徴的な動きで我々を引きつける。ゆっくりしたコントロールされた動きはその踊を理解させる重要なファクターである。
全き闇の中、右手の棺の中からエテールのような影が現れる。それは子を抱こうとする亡霊のように舞台を横切る。何もないまま現れないまま(そういう風に見える)、4分の1の時間が過ぎるが後にこれは次に来るものを理解させる布石であることに気づかされる。このパートには照明らしきものがほとんどない。裏悲しいまでの空気を醸すほどのさやかな光のみである。非常にゆっくりとした動きが彼女の苦しみを理解させられる。彼女のコントロールされた肉体がすべてである。文字どおり滝のような汗を流して賀代は陶然とした観客の前で炸裂する。音楽はクラシックピアノとチェロそれに日本の伝統音楽がミックスされたもの。舞踏の法に則り衣装が度々替えられる。続いてしばしば不快感を伴う痙攣のような動きを東洋の下着をつけて見せる。この幕の終わりに二人の全裸に近く白い粉で覆われた男が現れ、素晴らしい動きを見せる。混沌から高みへ一気にかけ昇る。私たちを目で掴む、磁石で引き込む。私たちは彼女の表情から目を離せないでいる。
最も印象的なシーンの一つに彼女が全身に鈴をつけて蛇のような衣装で演ずるシーンである。非常に効果的に使われる音楽と照明が舞台の上を駆ける。46歳になるこの女性が休みない動きと羨むべき活力でこんなに長い間観客を高いテンションで陶酔させるとは信じ難いことである。
(1996年6月9日 スペイン「ABC」 紙
Africa Calvo)
8 <三上は自らの芸術、舞踏で観客を熱狂させた>
この日曜日、日本の舞踏団とりふね舞踏舎のダンサーたちがその城壁の上で披露した踊りによって、フカヴァルディ―の古城は驚くべき魔術的、神秘的な空間となった。
(1999年6月23日 チェコ 「MF DNES」紙)
9
日本のダンサー三上賀代は、日本の伝統演劇である歌舞伎のみならず、詩や部分的には仏教哲学をも受け継いだプロジェクトを作成した。彼女の基本的に「女のひとりダンス」は、自然のモチーフから得られたインスピレーションを基礎にしている。三上賀代は、その熟達した技巧に裏打ちされた作品の中で、自然の中のあらゆる要素にはそれぞれ神が宿っているという大前提を、見事な動きで受け止め表現した。彼女の芸術性への驚きと敬服で会場は満ち溢れ、日曜日のフカヴァルディ・ダンスの夕べの後半は三上賀代の独壇場となった。
(1999年6月22日 チェコ「KALTURA SVOBODA」紙)
10
日本から参加した「舞踏」は、見る者を異様な美の世界に引きずり込む。我々にとって、細かな動作の意味をことごとく理解するのはかなり困難だが、演者の動きに並々ならぬ修練が込められていることは、誰にでもおおよその見当がつく。三上賀代は、一人の人間の、苦悩に始まって歓喜にいたる道程を美的に描き出す。舞台上の色彩や小道具がさほど印象を残すことなく観客の脳裏を行き過ぎることはあっても、彼らが高揚した情感に胸を打たれ、演者の心の遍歴に思いを共にすることもなく会場を後にすることは、決してありえない。
三上の見せる「雄弁なる沈黙」とも言うべき演技は、見る者に圧倒的な力で迫ってくる。取り分け、折れんばかりに腕を回して激しく悶えることによって、胸中の悲哀、あるいは、沈思の静寂を下界に溢れさせまいとするあの瞬間に、彼女のあらゆる筋肉、あらゆる動作が、三上のまったき制御化にあることに我々は気づかなければならない。
ここにあるのは、完璧な調和の下に置かれた動作であり、身体的反応と情感と思考との三位一体化である。それは、演技を超えた、存在そのものであるとしか言いようのない、ある特権的な状態である。とりふね舞踏舎所属の二人の男性が共演し、彼女の演技を際立たせていることを付記したい。
(1999年8月20日 英国 エジンバラ演劇祭 「HERALD」紙 Mary Brennan)